大嶋 康久/ホームアドバイザー 自己紹介へ

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先日、映画を見ていたら「楽市・楽座」のフレーズが出てきました。

何となく 織田信長や豊臣秀吉のときの商工業の政策かなと思いだしていました。

 

「楽市・楽座」とは、どんなものなのか、簡単に調べてみました。

 

「楽市・楽座」とは、

商工業の発展を妨げていた座の特権をなくし、新しい商工業者に

活躍の場をあたえる政策だったようです。

「座」は、同一業種でつくられる特権的組合のことで、

貴族・神社・お寺がもっている荘園で、同じ種類の仕事をしている

商工業者や芸人がつくった組合だそうです。

「座」は、荘園の持ち主にお金(座役)を納め、そのお返しに、

いろいろな特権をあたえられていたそうで、その特権は、

持ち主が支配している地域の中で、原料の仕入れ、製品の販売などを

ひとりじめにする権利や、関所を通るときの税金(関銭)

市場で商売をするときの税金を、納めなくてもよい権利だったそうで、

このような座は、鎌倉・室町時代に広まりました。

「座」の人数は、ふつうは十数人ですが、200人もいる

大きいものもあったそうです。

市で商売をする権利も、「座」がひとりじめにしたそうです。

市は、たくさんの人が集まって、品物の交換や売買をする市場のことです。

室町時代になると、荘園の中の市で商売をする商人は、

「座」をつくり、荘園の持ち主にお金(市座役)を納めて、

市で商売をする権利をあたえられました。

その「座」に入っていない商人は、市からしめ出されたのです。

 

「楽市・楽座」の政策をとったのは戦国大名でした。

戦国大名は、領内の商工業を盛んにし、城下町を発展させることに力を入れました。

そのため、商工業の発展を妨げていた「座」の特権をなくし、

新しい商工業者を城下町に招いたり、市で自由に商売をさせたりしました。

 

これが「楽市・楽座」の政策で、新しい商工業者に

活躍の場をあたえるとともに、領内の商工業を統制する意味ももっていました。

特にこの政策を強力に行ったのは、織田信長と豊臣秀吉ということです。

 

少し歴史で学んだことを思い出しました。

 

 

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本日のスタッフMBLOG更新担当 

 

大嶋(●⌒∇⌒●)でした!

 

PS 絵本には夢があります。

 

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